調和の舞台

パリ・オペラ座バレエ団「ジゼル」
“3連休の初日は、パリ・オペラ座バレエ団の「ジゼル」を観に行った。100年に一度の不況と言われる時代に、S席25000円という強気の価格設定。パリオペだから仕方ないか、、、と安直に財布の紐を弛める気になれずにいたところ、オークションで定価割れで出品されていたチケットを入手することができた。
そんなわけで、キャストを選んだわけではない。””パリオペのジゼル””を観たくて、文化会館に脚を運んだ。席は1階かなり後方、やや上手よりながら、全体を見渡せて、見切られる部分は全くなく、前席とも充分な段差があるので、人の頭が気になることもない。文化会館のセンターブロックは本当にどこからも見やすい。家からの近さもあって気に入っている小屋だ。

配役はジゼルにデルフィーヌ・ムッサン、アルブレヒトにバンジャマン・ペッシュ。ジゼルは当初イザベル・シアラヴォラが嵐閧ウれていたが、変更になっていた。ムッサンは今回の来日公演で、シンデレラで1回だけ主役を演る嵐閧セったところ、急遽、ジゼルでの主演が追加、となったようだ。最初からアンダーキャストとして決まっていたのかどうかはわからないが、もともとジゼルがレパートリーにあるベテランのエトワールだから、急な配役でも問題はないのだろう。

1幕が開いてみると、そこは本当にフランスかドイツの田舎町といった風情で、野趣あふれる落ち着いたカラーの背景が広がっていた。登場してくる村人達の衣裳も背景にとけ込むよう。村人、ジゼルの友人(このバージョンでは8名)、ペザント・パ・ド・ドゥのカップル、と皆それぞれ衣裳のデザインは違っていても、トーンが揃えられていて、すべてが絵のように調和していた。
そこへやってくるクールランド侯率いる貴族のご一行。ディテールまで凝ったドレス。それでいて、派手すぎる事はなく、やはり、舞台全体の雰囲気を壊すことなく調和している。オペラグラスで一人一人を食い入るように見つめてしまった。なんか、こう、厚みがちがうというか、田園の匂いすら感じられそうな空間が舞台全体に広がっているというか。文化会館でこれだから、オペラ座で観たら、それこそ引き込まれてしまうんだろうな。

さて、肝心のダンサーの方はどうかというと、ムッサンは控えめで、大人な雰囲気。プログラムによると、40歳になるハズ。踊り好きの溌剌とした若い村娘をそのまま阜サする、ということではないのだろう。狂乱の場でも、観客の心を鷲掴みにして同情を誘う、という感じではなく、自身を襲った悲劇に身を投じていく様を淡々と阜サしている感じだった。ショックを受けるような、激情型の阜サではなく、自然で、流れるような感情阜サで、それはそれで、切なく、美しかった。
ペッシュのアルブレヒトもルグリのそれなんかに比べると(比べるべきじゃないか)控えめな感じ。でもそれがムッサンと作り出す雰囲気によく合っていて、本当に自然。ジゼルって演劇的な要素が多い作品だけど、大げさにならずに自然に展開していくのは、この2人の醸し出す雰囲気+衣裳や背景の調和の効果だろう。

2幕はお馴染みの墓場の場面。下手にしつらえたジゼルのお墓が、男性の身長より高さがあり結国蛯ォかった。庶嚔ヒが間延びしてるように見えたのは、見慣れないせいか。個人的に、庶嚔ヒの前でアルブレヒトを庇うように、ジゼルが大きくアロンジェをするポーズが好きなのだが、あれでどうやってジゼルはアルブレヒトを守るんだろう?? 庶嘯フ位置が高すぎて、ポーズがサマにならないのでは….??と思っていたら、そのポーズ自体がなかった。まあ、そういう演出なんだから仕方ない。後で思った事だが、ウィリーになったジゼルが初めて仲間入りするシーンで、庶嚔ヒの前にウィリー達がひな壇状に集まっていた。ウィリーが拡散すると、庶嚔ヒの脇にジゼルが立っている。ひな壇状のウィリーの集団の上に、庶嚔ヒが見えるようにするには、あの高さに設定しなければならなかった、ということなんだろう、と勝手に解釈してみた。

2幕で注目したいのはやはりミルタ。エミリー・コゼットはちょっと強面でミルタにはピッタリと思っていたのだが、ポール・ド・ブラが雑で、冷たさも今一つな感じがした。こういう役って、はまるダンサーを見つけるのはつくづく難しい。もちろん好みもあるし。

1269146833ウィリーになったジゼル=ムッサンは、幽霊度が凄い。ウィリーの特徴である肩を下げて手を胸元で交差するラインの完璧さといったら息を飲むほど。首から腕にかけてなだらかに下がっていくボトル肩、横を向けば、頭の先からつま先まで一直線に描かれるライン…ラインそのものが空気と一体化しているようで、本当にうっとりしてしまう。これは骨格もあるだろうが、ここまで完璧なラインを出せるダンサーも珍しい。
そして、彼女は、ウィリーとして登場してから、夜が明けてアルブレヒトと別れるまで、ずーっと幽霊だった。登場は無機質な霊、その後、アルブレヒトと絡んでいくうちに、むしろ人間性をとりもどしていくようなジゼルもよく見かけるが、ムッサンのジゼルは、あくまで””向こうの世界にいってしまった人””なのだ。いや、向こうの世界に言ってしまったのだから””人””と阜サするのにも違和感がある。おそらくアルブレヒトとは1回も目を合わせなかったのではないだろうか。その、終始一貫した幽霊ぶりが、ジゼルは二度と帰ってこないのだ、という事実を裏付けて阜サしているようで、全編を通じて哀しさ、切なさ、はかなさを倍増しているようだった。

そういえば、ドキュメンタリー「パリ・オペラ座のすべて」では、ムッサンは「メディアの夢」で血まみれになって子殺しをするメディアを演っていたのだった。あんなに土臭い、どろどろした阜サをしていたダンサーが、「ジゼル」では完璧な幽霊になってしまう…..好き嫌いはあるとして、いや、もう、凄いとしかいいようがない。