テクノロジーの闇

精密と寛容
1389670656最近のテクノロジーの発達には目を見張る。ちょっと前まで、生地を染めるというのは、巨大な鍋なり釜なりに染液を用意して、生地を浸けるというのがフツーだった。こちらの思う通りの色で染色してもらうには、ひと釜分、それは何十メートルだったり何百メートルだったりを発注しなければならなかった。今だってその方法が主流で、1着分なら自分で染めているワケだけれど、素材によっては、素人では難しいモノもある。そこへ、コンピューターとプリンターを使って生地に色を直接印刷する、という技術が出現したのだ。
色数も多く、クリーニングや洗濯しても色落ちすることがなく、摩擦にも強い。インクもプリント技術も進化したということだろう。1色80cmから注文できるという手軽さだ。

しかし、やっぱり思うとおりには行かない、ということか。
商品の性質上、実物の生地見本がなく、色は紙製の見本帳に頼るしかないのは承知の上だった。発注したのは一番下の段の右から2番目、見本帳には「金茶」と表示されている。
果たして出来上がってきた生地は、少なくとも私のイメージする「金茶」には遠いものだった。「金茶」といえば、黄色や黄土色の要素が入っているイメージではないか? この生地の色は「赤茶」とか「紅茶」な感じ、「金茶」という答えは思い浮かばない。

悶々とした思いは消えず、生地屋に問い合わせてみたものの「紙見本はあくまでも参考、やり直しても同じ色にしか仕上がりません。」という、まあ予想通りの返事だった。
さいですか。紙の色見本とテクノロジーを信じたワタシがおバカさんだった、という事ですね。個人的にはこれは最早別色だと思うのだけれど、ヒトの感覚なのだから仕方ない。技術の発達には0.1%に拘る精密さが求められるけれど、その結果に対しては、それこそ赤茶から焦げ茶までを「金茶」に含められる寛容さが必要だって事ですね。