ある夜の出来事

備えあれば憂いなし
1239001400昨年、ちょっとしたきっかけでダイビングを始めた。
20代の頃、旅行先でライセンスをとったものの、自分のギアを持っていなかったこともあり、ほとんどご無沙汰だった。この頃、バレエのレッスンでは、体力と身体迫ヘの低下が著しく、ジャンプをしても浮遊感を感じられなくなってしまったから、ふわふわとした独特の感覚を水中へ求めたのかも知れない。

ダイビングは安全で身近なスポーツと言われているが、一歩間違えば、命に関わる大事故が起こりかねない。実際、毎年毎年、ダイビング事故での犠牲者が発生している。

そこで、危機管理の一環として、エマージェンシー・ファースト・レスポンスの講習を受けた。2月の事だった。
この講習会自体は、ダイビングに特化したものではなく、一般的な事故や突発的な病気などで誰かが助けを必要としているときに、どんな風に対処したら良いか、ということを、様々な場面を想定しながら、身につけることができるようになっている。事前にテキストをもらい、酪Kをした上で、1日かけて、体験的講習を行ったのだ。

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それが実践で使うことになるとは思ってもいなかった。

それは先週の週末の事だった。
事務所で仕事を終え、家に帰ろうと道を歩いていた時のことだ。時刻は夜の10時を回っていただろうか。
急に「ガッシャーン」という大きな物音がし、そちらの方に目をやると、車とひっくりかえった自転車が目に入ってきた。横転した自転車の傍らには倒れた人影が。

咄嗟に「放っておいてはいけない」と思った。

現場に近寄っていくと、車から人が降りてきた。どうやら近くの住人でこれから車を動かすところだったらしい。
「大丈夫ですかぁ!」
と声をかけながら、倒れた人影に話しかけている。

最初に目にした光景から、てっきり自転車と自動車が接触したものだと思っていたのだが、自動車は最初から停車していたし、車体のどこにも接触した跡がなかった。どうやら自転車に乗った人物が、停車中の自動車の傍らで転んだらしい。ところが、転ぶ方向が悪かったのか、自動車の下に頭が入り込むような形で倒れてしまっていたのだ。
近づいて見ると、頭部から出血しているようだ。

見て見ぬふりはもちろんだが、遠巻きに見物して何もしないのも、消極的なネガティブ行動だ。
周辺には数人の人間がいて、
「救急車、呼んだ方がいいですよね?」「そうですよね。」「えーっと救急車……」
とお互い、携帯電話を片手に顔を見合わせながら、それでも誰も、ボタンを押せないでいた。
そこで、私は思いきって、自分の携帯から119番通報した。
「はい。こちら東京消防庁です。火事ですか? 救急ですか?」
「救急です。場所は北区・・・・・」
周りの人の助けもあって、冷静に落ち着いて、場所の説明と、負傷者の状態を伝えた。

通報を終えた後は、救急隊が来るまで、訓練を思い出しながら、出来る限りの事をしようと考えた。
声をかけると反応するので、意識はある。呼吸がお酒臭く反応が鈍いが、痛がる様子がないので、本人には怪我をした自覚すらなさそうだ。頭部からの出血は止まりつつあるようだったが、路面に広がっている血痕が生々しく、痛々しい。
体位を動かすには車の下から引きずり出さなければならず、これは救急隊員に任せた方が良さそうだ。
結局、体温が下がらないように、自分が着ていたジャケットを被せ、「大丈夫ですか? どこか痛くないですか? 今、救急車を呼びましたから、このまま動かないでいて下さいね。」と声をかけ続けることしかできなかった。

救急隊は5分程度でやってきた。ここにいる全員が、怪我人とは面識がないことと、見てきた限りの状況と経過を説明した。救急隊の見立てによると、頭のキズは8~9cmにわたって切れていたらしい。とはいえ、意識もあるし、命には別状がない、とのことだった。

もし、エマージェンシー・ファースト・レスポンスの講習会を受けていなかったら、私はここまで積極的に行動することはできなかったと思う。このような「万が一」に備えた講習経験は無駄ではなかったのだと実感した一件だった。