淡々と

「パリ・オペラ座のすべて」
実は、先週の土曜日、11月28日は午後3時開演のキエフ・バレエ「眠れる森の美女」を観た後、午後7時40分開演の映画「パリ・オペラ座の全て」をハシゴしたのだった。
「眠り….」が終わった段階で6時15分頃だったろうか。会場はオーチャードからBunkamura/ル・シネマで、同じ建物内だったのだが、この空き時間に近く和食処で軽く食事をとり、再びBunkamuraへ吸い込まれていったのだった。

パリ・オペラ座をテーマにしたドキュメンタリーである、という事以外、内容は把握せずに観たのだが、誰かにスポットを絞って追う、とか、一つの作品が作られていく経過を綴る、等は一切なく、いくつかの作品のリハーサルの風景や、芸術監督ブリジット・ルフェーブルがスタッフと打ち合わせをしている様子、裏方の作業風景なんかが、とにかく淡々と繋げられていく。

リハーサルの風景では、作品のタイトルやその場でリハーサルをしているダンサーの名前が簡単にテロップで流れるだけ、作品毎に編集されているわけではなく、日々平行で進められていくリハーサル風景が(恐らく時系列なのか)フラッシュバックのように次から次へと画面に現れてくる。ダブルキャストなのだろう、同じ作品のリハーサルでもダンサーが変わっていることもあり、バレエだけでなくパリ・オペラ座にも詳しくなければ、ちょっとついていくのが難しいかも、と思わせる作品だった。

最も、観客の方は、当然、バレエやオペラ座に興味のある人間ばかりだろうから、心配無用ということなのかも知れない。オタッキーな人間にとっては、華やかなオペラ座の裏側を透明人間にでもなって盗み見しているような面白さがある。

ゲネプロの風景では主役の踊りに対して、客席にいる振り付け家(おそらくピエール・ラコット)らがひそひそ声で話しているのをマイクが拾っていたりする。一言一句、覚えているわけではないが、「ダメだね」「うん、2回目もよくない」「でもまあ、最後は3回回ったじゃないか」「もう少し様子を見てみるか」なんて調子だ。

オペラ座の経営スタイルとして興味深い話題もあった。
ダンサーは40歳定年で、オペラ座の職員の中でも特殊な職業であると位置づけられていること(一般職の定年は65歳)、年金や待遇についてはコールド・バレエについても、引退後をも見据えた交渉が続けられていること、等。流石、歴史のあるバレエ団は人材こそがカンパニーを支える宝だということを自覚している、と思わせる。

リハーサルも本番も、まるまる1曲を観せてくれるような作品はなく、すべては断片的だったが、それでも印象に残った点が2つあった。一つはアンジュラン・プレルジョカージュ振り付けの作品「メディアの夢」。パンフレットによると、ギリシャ悲劇「王女メディア」をモチーフにした作品で、メディア、その子供、夫、夫の不倫相手が登場人物で””母親と愛人は両立しない””というテーマを踏まえてメディアの苦悩とそこから生まれる悲劇が展開される、とある。映画の中では夫役のウィルフリード・ロモリと愛人役のアリス・ルナヴァンの官箔Iなパ・ド・ドゥやメディア役のデルフィーヌ・ムッサンが血まみれになりながら我が子を手にかけるという壮絶なシーンを観ることが出来た。ショッキングでストレートな阜サは、是非、生でも観てみたい。
2つめはラコット振り付けの「パキータ」に登場していたマチアス・エイマン。本当にちょろっとししか(ほんの数小節)出ていなかったのだが、軽々としたジャンプ、若さ溢れた溌剌とした動きは、磨きかけのダイヤのよう。来年の来日メンバーにその名前はのるのだろうか。

個人的にうれしかったのは、名花と謳われたノエラ・ポントワの姿を見つけたこと。私がまだ小学生の低学年だった頃、シリル・アタナャtと組んだ「ジゼル」を観て以来のファンだ。
数分のレッスン風景で、教師を務めていたが、5番ポジションからクドゥ・ピエを通過する動き、そこからつながるバットマン・デガジェをほんの少しだけ、お手本でやってみせる姿は、クラスレッスンを受けている団員の誰よりも美しかった。