新国立劇場「ロミオとジュリエット」

闘う身体と優等生バレエ
6月26日、久しぶりの新国、演目は「ロミオとジュリエット」。プロコフィエフの音楽も、マクミランの振りも大好きな作品に、期待は高まる。

ジュリエット役のリアン・ベンジャミン。ロイヤルバレエで名を馳せたしっかりしたテクニックの持ち主。日本人ダンサーの中に入ってなお、小柄なのは、ジュリエットという役柄にも、日本のバレエ団での客演としても合っている…(ザハロワだとアタマ一つ出ちゃうし)。にも関わらず、肩や腕がしっかりしているせいか、首が短く、馬面に感じる。小柄だけど、筋肉質で、しっかりした体型。その辺が、どうしても「可憐」で「初々しい」といったジュリエットのイメージに馴染めず、個人的には好きになれなかった。
流石にロイヤル出身だけあって、難しいマクミランの振り付けを、よくこなしているんだけど、「振り」を見せるんじゃなくて、「振り」はあくまでも身体から発するセリフ、というか、余計な力を感じさせず、よどみなくスムーズに、つま先までが語る、そんな動きであってほしいところが、どうもテクニックが先行してしているような印象を受けたのだ。

そんな風に考えて、ふと、思った。私は引退してしまったフェリのジュリエットが好きすぎる。彼女のイメージが強すぎるから、特にマクミランのジュリエットだと、誰がやっても、ついフェリと比べてしまうのだ。ベンジャミンがどうこう、ではなく、私の「目」がフェリに感化しちゃってるから、なんとなく消化不良になってしまったのだろう。

それでも、ロレンス神父から貰った仮死状態になる薬を飲むところ、お墓の中で目覚め、傍らに転がるロミオの屍を見つけ慟哭するところなんかは、真に迫る演技で、ぐいぐいとこちらを引っ張る。年齢的にも全幕の主役をはるにはキツイところだろうと思うが、自分の体力、身体迫ヘの限界と戦い続けている、そんな迫力を感じる舞台だった。

ロミオのセザール・モラレスはバーミンガム・ロイヤルバレエ団所属。すごくポジションの美しい、広がりのあるアチチュード・ターンを決めたりするんだけど、なんか、こう、もうひとつ訴えかけるものがほしかった。お顔が野獣系(失礼!)なのも、ちょっとロミオのイメージじゃなく、全体として印象が薄かった。

ロミオだけじゃない。そもそも「ロミオとジュリエット」は女性よりも男性の方が重要なのだ。ロミオ以外の、ティボルト、マキューシオ、ベンボーリオのキャラクターをしっかり阜サしてほしい。その上で、容姿端麗ながらも空気なパリス、とか、ティボルトの死に半狂乱になる意味深なキャピュレット夫人、あたりが、スパイスとして効いてくる。いや、そういう意味で、パリスとキャピュレット夫人は期待を裏切らなかった。湯川麻美子さんのキャピュレット夫人のはじけっぷりは、マリシア・ハイデのそれを彷彿とさせたぐらい。
だからこそ、前述の男性陣が残念だった。特にマキューシオとベンボーリオ。途中までどっちがどっちかわからなかった。キャピュレット家の舞踏会へ忍び込む前に、ロミオを交えて門前で踊る3人のアンサンブルは、同じ振り付けをやっているのに、メャbドの違う踊り手がそれぞれ勝手に振りを追っているみたい。キャラクターも立っていなければ、テクニックもはっきりしない。マキューシオの死のお芝居はがんばっていたように思うけれど、やっぱりバレエなんだから、踊るところでしっかり魅せてもらいたい。よく見ると、ちゃんとやっているんだけど、どうも伝わってこないのはどうしてだろう? 優等生の踊り? 学級委員長の踊り? うまく阜サできないけれど、そんな感じ。 良くも悪くも今の新国立劇場のダンサーのクオリティーなのかも知れない。