新国立劇場バレエ団の通し稽古

空回しの贅沢
12月14日、新国立劇場の「シンデレラ」ゲネプロを観に行った。一般には非公開の貴重な機会だ。舞台裏事情というものは、バレエ団毎にやり方や特徴があるだろうことは容易に想像できる。果たして新国立劇場はどんなゲネをやっているんだろう??と興味津々で劇場へ向かった。

ゲネ開始の20分前ぐらいに劇場に到着。客席番号が案内されたカードを渡され、しばしロビー前で待つ。15分前にはロビーへ通された。ロビーは売店の準備中、ヨーロッパのクリスマス市を思わせるディスプレイで、正面には大きなツリーが鎮座していたが、売店はまだテントの骨組みが並べられているだけだった。

客席に行ってみると、真ん中にはテーブルがしつらえられ、数本のマイクが立ち並んでいた。関係者がそこから舞台をチェックしてダメ出しをする、というわけだ。マイクの数は5~6本はあるだろうか。それだけでも組織の規模の大きさが伺える。開始までにはまだ時間があるので、もう一度ロビーへ戻って散策。カラボス、リラ、シンデレラ、仙女の衣裳を着た4体のマネキンが無造作に置かれていた。こういう未完成な部分を見られるのも楽しい。
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さて、開始数分前ともなると、関係スタッフが続々と集まってきた。皆、慣れた様子で所定の位置につく。間もなく客電が落とされ、指揮者が登場。流石にオーケストラのメンバーは普段着だったが、ダンサーはメイク付き、照明も本番と全く同じ進行だ。

そうなのだ。
案内では「総舞台稽古は、あくまでもリハーサルの一環です。各幕の開始時間はサウンドチェック、その他舞台周りの準備状況により大きくずれ込むことがあります。また、リハーサルの進行状況によって中断することもあるため、終了時間も遅くなることがあります。」とわざわざ注意書きがあったものの、2回の休憩時間も含め、全く本番と同じ様に進行したのだ。従って、全3幕が終わり、緞帳を下ろした後のカーテンコールまできっちりリハーサルをして時間通りに終了したのだった。

職業柄、バレエ公演のゲネプロに立ち会ったことは何度もあるが、ここまで本番通りに粛々と進むのを見たのは初めてだった。いや、本来、『通し稽古』とはそういうものなのだが、私の経験では、場当たりと通し稽古を同時進行させるものが多かった。全幕ものであれば、まず1幕の場当たりをし、音をかけて通す。手直しやチェックを入れ、必要に応じてシーンを反復したり。それを2幕、3幕と進めて行くのだけれど、進行撫縺A幕間に設けられていた休憩は、リハーサル時間の超過により圧縮、休憩を潰してなんとか間に合わせる、というのが常だった。
それには上演環境も大きく関係してくる。劇場を使ってのリハーサル時間をどれぐらいとれるか、という問題だ。本番を迎えるにあたり、舞台装置や道具の搬入に始まり、照明のセッティング、展開や動き等の様々なチェックをし、一方、ダンサーは、舞台装置や小道具を使った上での位置や動きのチェックをしなければならない。これらの全ての準備を整え、本番通りの通し稽古を1日でやり遂げるのは至難の業だ。

新国立劇場バレエ団の場合、劇場がいわばホームなので、これを数日かけてやれるのだろう。通し稽古は、それこそ事故でもない限り「本番通りにやる」。実際、舞踏会のシーンでは、衣裳の金ボタンが落ちるというアクシデントがあったが、道化役のダンサーが茶目っ気たっぷりのアドリブで拾い、舞台は何事もなかったかのように進行していった。アクシデントにはその場で対応する、という実践の場でもあるわけだ。
もうひとつ、この通し稽古の重要な役割は、『記録の場』である事だ。本番では報道陣であっても容認されない写真撮影をこの時にやっておく。それが宣伝媒体等に活用されるのだろう、客席中央にセッティングされたカメラマン席からは終始シャッター音が途切れることはなかった。

こうやってゲネを見てくると、つくづくバレエって贅沢な催しものなのだと痛感する。だって、この本番通りの1公演分、ダンサーはもちろん、裏方のスタッフからオーケストラの人件費、お客のいない客席まで効かせたエアコン代だって、全てコストがかかっているのだ。でも入場料収入はゼロ。こういった様々な経費の全てを入場料で賄おうとすれば、一体チケットをいくらにすれば良いのか、もちろん公演数や観客動員数にも大きく左右される事だが、やはりファンドレイジングや補助金がなければ、興行だけで元を取るのはムズカシイだろう。芸術の保護や発展には、社会が豊かで人々に余裕があることが重要なのだ。

そういえば今日は総選挙の投票日だ。長い長い不況にあえいでいる今の日本のままでは、バレエを愉しむなんて、一部の富裕層にしか許されない趣味になりかねない。少しでも良い方向に向かってくれる転機となってくれれば良いけれど…..。